金融という言葉の由来は、「資金を融通する」というところにあるという。
中央銀行にせよ、民間の金融機関にせよ、その本質は資本の移動にあるということだ。
より具体的には、例えば中央銀行は市場に資金を融通したい時、つまり市場に流通する資金の総量を増やしたい時、いわゆる買いオペをする。
金融機関が有する国債等を買い取り、その分、中央銀行から市場に資金が流れ出る。
まさに金融の一環であり、市場への資金供給による金利の低下、経済活動の活性化が図られる代表的なものの一つだろう。
ところで、我々が生きる資本主義社会において「金融」という言葉にはどこか魔性的な危険な雰囲気を感じるのも確かだ。
個人的な感想に過ぎないが、金融が健全な状態で必ずしも行われているとは、言い難い現状が今般の社会にはあると感じる。
詐欺や出資法違反、闇金に代表される違法金融は典型的なもので、分かり易いが、本当に注意すべきは資本格差や個々の事情から来る合法であれど不健全な融資、不適切借財。
または当事者間の金融知識の差に乗じた、詐欺まがいの相場商品への勧誘が挙げられる。
これらはある意味で、現状法の欠缺といっても過言ではない。
民事的に当事者の合意のなされた契約は、基本的に自由であることを大義名分にして、かなり阿漕な取引がなされているのが現実だろう。
損得は資本主義の常であるが、犯罪性の高い金融について社会が与してはならない。
このバランスに健全な金融の骨子は宿るのではないか。
これからの社会で生きていくために金融知識は必須のものだと感じる。
相場感や、各種制度について各々個人が理解することがひいては経済への貢献となるのだろうと思う。
そうでなければ、金融知識のない個人はただただ、損が嵩み資産格差の底辺を舐めることを余儀なくされてしまう。
金融という言葉は、冒頭の意味の読み方のほか「金を融かす」とも読み解けるのだから。